1. タクシー運転手に必要な保険の全体像
タクシー業務に従事する際、運転手と事業者は複数の保険制度によって守られています。これらの保険は、事故や災害が発生した際に、被害者への賠償と運転手自身の補償を確保するための重要な安全網です。
1.1 保険体系の全体構成
タクシー業界における保険は、大きく分けて3つの層で構成されています。
第1層:法定保険(必須)
自賠責保険(強制保険):すべての自動車に加入が義務付けられている基本的な保険
労災保険:雇用される運転手の業務災害・通勤災害を補償
第2層:任意保険・共済(事実上必須)
任意保険またはタクシー共済:自賠責保険でカバーできない部分を補完
車両保険:自社車両の損害を補償(任意だが推奨)
第3層:追加補償(オプション)
施設所有者賠償責任保険:車いす転倒など交通事故以外の事故に対応
人身傷害保険:運転手自身のケガを補償
2. 自賠責保険と任意保険(共済)の違いと補完関係
2.1 自賠責保険(強制保険)
自動車損害賠償保障法に基づき、すべての自動車に加入が義務付けられている保険です。被害者救済を目的とした最低限の補償制度として機能します。
補償範囲
対人賠償のみ(対物損害は対象外)
傷害(ケガ):上限120万円
後遺障害:等級に応じて75万円~4,000万円
死亡:上限3,000万円
保険料(参考)
タクシーの自賠責保険料は、使用地域によって異なります。六大都市(東京特別区、大阪市、名古屋市、京都市、横浜市、神戸市、川崎市)では相対的に安く設定されています。
2.2 任意保険とタクシー共済
自賠責保険でカバーできない損害を補償する保険です。タクシー業界では、一般的な任意保険の代わりにタクシー共済に加入するケースが多く見られます。
任意保険の補償内容
対人賠償保険:自賠責の上限を超える部分を補償(通常は無制限)
対物賠償保険:相手の車両や物への損害を補償
車両保険:自社車両の修理費用を補償
搭乗者傷害保険:乗客のケガを補償
タクシー共済の特徴
タクシー共済は、複数のタクシー会社が組織する相互扶助制度です。任意保険と比べて以下の特徴があります。
保険料が比較的安価
タクシー会社・運転手の保護を優先する傾向
示談交渉が任意保険より厳しくなる可能性
金融庁の監督下にないため、賠償金の支払いを渋る傾向がある
2.3 自賠責と任意保険の補完関係
実際の事故では、自賠責保険と任意保険(共済)が段階的に機能します。
- 第1段階:自賠責保険から支払い
人身事故の場合、まず自賠責保険から上限120万円(傷害の場合)まで支払われます。
- 第2段階:任意保険から追加支払い
自賠責の上限を超える部分について、任意保険(共済)から支払われます。
- 対物損害:任意保険のみ
相手車両や物への損害は、自賠責保険の対象外のため、任意保険(共済)から全額支払われます。
3. 会社の団体保険・共済と公的労災(運転者自身の補償)
3.1 労災保険の基本
労災保険(労働者災害補償保険)は、労働者が業務中または通勤中に負傷、疾病、障害、死亡した場合に、必要な保険給付を行う公的保険制度です。タクシー運転手も正社員、パート、アルバイトを問わず対象となります。
適用範囲
業務災害:業務中に発生した事故やケガ、病気
通勤災害:通勤途中に発生した事故やケガ
【業務災害の具体例】
乗客を乗せて走行中に追突事故に遭い負傷
洗車場で順番待ち中に同僚の車に追突され負傷
乗客の荷物を運搬中に転倒して負傷
労災保険の給付内容
- 療養補償給付
治療費全額が補償されます。労災指定医療機関であれば、窓口負担なしで治療を受けられます。
- 休業補償給付
休業4日目から、賃金の約80%(給付基礎日額の60% + 特別支給金20%)が支給されます。
- 障害補償給付
後遺障害が残った場合、等級(1級~14級)に応じて年金または一時金が支給されます。
- 遺族補償給付・葬祭料
死亡した場合、遺族に年金または一時金が支給され、葬祭費用も支払われます。
- 介護補償給付
重度の後遺障害により介護が必要な場合、介護費用が支給されます。
通院交通費の補償
労災により通院が必要な場合、以下の条件を満たせば通院費も補償されます。
片道2km以上の通院(原則)
労災指定医療機関への通院
公共交通機関:実費全額
自家用車:1kmあたり37円
タクシー:合理的な理由がある場合のみ(要領収書)
3.2 個人タクシーの特別加入制度
個人タクシー事業者は、本来労働者ではないため労災保険の適用対象外です。しかし、特別加入制度を利用することで、労災保険に加入できます。
加入方法
ドライバー労災保険組合などの特別加入団体に加入
給付基礎日額を選択(3,500円~25,000円)
保険料は選択した給付基礎日額によって決定
3.3 労災保険と損害賠償の関係
労災保険の給付を受けた場合でも、加害者や事業主に対して損害賠償請求を行うことができます。ただし、二重取りを防ぐため調整が行われます。
慰謝料:労災保険では支払われないため、別途請求可能
休業損害の差額:労災が80%補償のため、残り20%を請求可能
事業主の安全配慮義務違反:車両整備不良などがあれば会社に請求可能
4. 事故時の初動と保険適用の考え方(実務フロー)
4.1 事故発生直後の対応手順
STEP 1:安全確保と負傷者の救護
エンジン停止、ハザードランプ点灯
負傷者の確認と応急処置
二次事故防止(発煙筒、三角表示板の設置)
重要:現場から立ち去らない(救護義務違反は刑事罰の対象)
STEP 2:警察への通報(110番)
事故の発生を速やかに通報
場所、状況、負傷者の有無を伝える
重要:人身事故として届出を行う(物損扱いにしない)
STEP 3:会社への報告
事故発生の第一報を入れる
会社の指示を仰ぐ
必要に応じて代替車両の手配を依頼
STEP 4:情報収集と記録
相手の氏名、連絡先、保険会社を確認
目撃者の連絡先を確保
事故現場の写真撮影(車両の損傷、道路状況など)
注意:その場で示談交渉は行わない
STEP 5:病院での診察
軽微な症状でも必ず病院で診察を受ける
診断書を取得する
労災の場合は労災指定医療機関を受診
4.2 保険適用の判断フロー
ケース1:単独事故(乗客あり)
乗客のケガ:自賠責保険 + 任意保険(対人賠償)
運転手のケガ:労災保険(業務災害)
車両損害:車両保険(加入している場合)
ケース2:対向車との衝突事故
乗客のケガ:双方の自賠責保険 + 任意保険(過失割合に関係なく全額請求可能)
運転手のケガ:労災保険 + 相手方への損害賠償請求
車両損害:過失割合に応じた対物賠償 + 車両保険
ケース3:追突された場合(過失0%)
乗客のケガ:相手方の自賠責保険 + 任意保険
運転手のケガ:労災保険 + 相手方への損害賠償請求
車両損害:相手方の対物賠償保険
注意:過失0%の場合、自社の保険会社は示談交渉できないため、タクシー会社の事故処理担当者または弁護士が対応
5. 法的責任の所在(被害者賠償は誰が負うか)
5.1 運行供用者責任
自動車損害賠償保障法により、タクシー事故の第一義的な責任は「運行供用者」にあります。タクシー事業の場合、通常は事業者(タクシー会社)が運行供用者となります。
基本原則
被害者への賠償責任:原則として事業者(タクシー会社)が負担
保険適用:事業者が加入する自賠責保険・任意保険(共済)から支払い
運転手の個人負担:原則として不要(ただし例外あり)
5.2 運転手が個人負担するケース
免責条項に該当する場合
多くのタクシー会社では、事故の責任を運転手と会社で分担する免責条項を設けています。
免責金額方式:修理費の一定額(例:5万円)を運転手が負担
免責割合方式:修理費の一定割合(例:10%)を運転手が負担
上限設定:運転手の負担額に上限を設ける会社も多い
重大な過失がある場合
飲酒運転、無免許運転、薬物使用
故意による事故
著しいスピード違反
信号無視など明白な交通違反
これらの場合、保険適用が拒否され、運転手個人が全額賠償責任を負う可能性があります。
5.3 個人タクシーの責任
個人タクシー事業者は、事業主かつ運転手であるため、すべての責任を個人で負います。
賠償責任:全額個人で負担
保険加入の重要性:十分な補償内容の保険加入が必須
弁護士費用特約:自身で示談交渉を行う必要があるため推奨
6. 安全装備・安全運転支援の最新動向(義務化・推奨)
6.1 運行記録計(タコグラフ)の義務化
タクシーを含む事業用自動車には、運行記録計(タコグラフ)の装着が法律で義務付けられています。
デジタルタコグラフ(デジタコ)の普及
従来のアナログタコグラフに代わり、デジタルタコグラフの導入が急速に進んでいます。2024年の調査では、最大積載量4トン以上の車両でデジタコ装着率が約80%に達しています。
記録項目:走行速度、距離、時間、運転時間
メリット:正確な運行管理、安全運転の促進、労務管理の効率化
罰則:未装着の場合、30日間の車両使用停止処分
6.2 自動ブレーキ(衝突被害軽減ブレーキ)
義務化のスケジュール
2021年11月~:国産乗用車・軽乗用車の新型車に義務化
2025年9月~:新型トラック・バス(総重量3.5トン超)に義務化
2025年12月~:国産継続生産車に義務化
効果と注意点
期待される効果:追突事故による死亡事故を約80%削減(大型車の場合)
重要:自動ブレーキは緊急時のサポート機能であり、過度な依存は禁物
6.3 その他の安全装備義務化
オートライト
2020年4月~:新型乗用車に義務化
周囲が暗くなると自動でヘッドライトが点灯
バックカメラ
2022年5月~:新型車に義務化
2024年11月~:継続生産車に義務化(能登半島地震の影響で延期)
6.4 ASV(先進安全自動車)割引
自動ブレーキ(AEB)などの先進安全装備を搭載した車両は、多くの保険会社でASV割引が適用されます。
割引率:通常9%程度(保険会社によって異なる)
適用条件:発売年月から一定期間内(通常3年程度)
対象車両:自動ブレーキが標準装備または装着されている車両
7. 保険料の相場感と負担の考え方
7.1 自賠責保険料
自賠責保険料は、地域と契約期間によって決定されます。タクシーは営業用車両のため、自家用車より高額に設定されています。
地域による違い
六大都市(特別区・大阪市など):相対的に安価
その他地域:やや高額
理由:事故発生率と保険利用件数の地域差を反映
7.2 任意保険料の相場
一般的な任意保険の場合
タクシーの任意保険料は、一般車両と比べて大幅に高額です。
年間保険料の目安:50万円前後(普通車・5ナンバー/3ナンバーの場合)
軽自動車:比較的安価(年間20万円~30万円程度)
地域差:六大都市の方が郊外より安い傾向
タクシー共済の場合
タクシー共済は、一般的な任意保険より掛金が安価です。
メリット:保険料が安い、業界特化型の補償
デメリット:示談交渉が厳しい傾向、補償内容が限定的な場合あり
7.3 保険料負担の考え方
雇用運転手の場合
自賠責・任意保険:会社が全額負担
労災保険:会社が全額負担
事故時の免責金:運転手が一部負担する場合あり
個人タクシーの場合
自賠責・任意保険:個人で全額負担
労災保険特別加入:個人で掛金を負担
賠償責任保険:オプションで加入推奨
8. 保険加入の流れと注意点(就職・独立)
8.1 タクシー会社への就職時
STEP 1:会社の保険内容を確認
面接時や入社前に、必ず以下の項目を確認してください。
加入している保険の種類(任意保険 or タクシー共済)
対人賠償・対物賠償の補償額(無制限かどうか)
車両保険の有無
免責条項の内容(運転手の自己負担額・割合)
労災保険の適用範囲
STEP 2:二種免許の取得
タクシー運転手になるには、普通自動車第二種運転免許(二種免許)が必要です。
取得費用:25万円~35万円程度
会社負担:多くの会社で費用を全額または一部負担
条件:一定期間(1~3年)の勤務継続が条件の場合あり
STEP 3:入社と研修
入社手続き:雇用契約書、労働条件通知書の確認
社内研修:安全運転、接客マナー、事故対応手順
保険関連の説明:事故時の対応フロー、報告義務の確認
8.2 個人タクシー開業時
STEP 1:開業要件の確認
個人タクシーの開業には厳格な要件があります。
年齢:原則として35歳以上65歳未満
経験:タクシー運転手として10年以上の経験(または法人タクシーで通算10年)
無事故・無違反:過去3年間無事故無違反
資金:車両購入費、保険料、運転資金などの準備
STEP 2:保険の手配
開業前に必ず保険を確保してください。
- 自賠責保険
車両登録時に同時加入します。
- 任意保険またはタクシー共済
複数の保険会社・共済組合から見積もりを取り、補償内容と保険料を比較してください。
確認事項:
対人・対物が無制限か
車両保険の補償範囲
弁護士費用特約の有無
搭乗者傷害保険の有無
- 労災保険特別加入
ドライバー労災保険組合などに加入申請します。
- 施設所有者賠償責任保険(オプション)
車いす転倒など交通事故以外の事故に備える場合は加入を検討してください。
STEP 3:営業許可申請
地方運輸局に申請書類を提出
保険証券のコピーを添付
審査・許可取得後に営業開始
9. 転職希望者のチェックリスト(保険・安全対策)
タクシー業界への転職を検討する際、会社選びで確認すべき重要な項目をまとめました。
9.1 保険関連の確認事項
任意保険(またはタクシー共済)に加入しているか
対人賠償・対物賠償が無制限かどうか
車両保険に加入しているか(オプション含む)
免責条項の内容(運転手の自己負担額・割合)
免責金額の上限が設定されているか
労災保険が適用される範囲
9.2 安全対策の確認事項
デジタルタコグラフを装着しているか
自動ブレーキなど先進安全装備を搭載しているか
ドライブレコーダーを設置しているか
車両の定期点検・整備が適切に行われているか
安全運転研修を定期的に実施しているか
9.3 事故対応体制の確認事項
24時間対応の事故処理担当者がいるか
事故時の報告フローが明確か
示談交渉を会社またはa保険会社が行ってくれるか
事故後のサポート体制(精神的ケア含む)があるか
9.4 労働条件の確認事項
2024年問題への対応(年間960時間の時間外労働上限)
休憩時間・休日が適切に確保されているか
給与体系が明確か(歩合制の場合の計算方法)
二種免許取得費用の負担制度があるか
社会保険(健康保険・厚生年金)に加入しているか
9.5 会社の信頼性確認
運輸局の営業許可を正式に取得しているか
事故率・違反率が業界平均と比べてどうか
口コミ・評判を調査したか
離職率が高くないか
10. セクションごとの要点まとめ
第1章:保険の全体像
タクシー保険は3層構造(法定保険・任意保険/共済・追加補償)
すべての層が重要な役割を果たす
第2章:自賠責と任意保険
自賠責は対人のみ、上限あり(傷害120万円、死亡3,000万円)
任意保険/共済で自賠責を補完
タクシー共済は安価だが示談交渉が厳しい傾向
第3章:労災保険
業務災害・通勤災害を補償
休業補償は賃金の約80%
個人タクシーは特別加入制度を利用
第4章:事故時の初動
安全確保→警察通報→会社報告の順で対応
人身事故として必ず届出
その場での示談交渉は厳禁
第5章:法的責任
基本的に会社が賠償責任を負う
免責条項により運転手が一部負担する場合あり
重大な過失がある場合は運転手が全額負担のリスク
第6章:安全装備
デジタコは義務化済み(未装着は30日間の使用停止)
自動ブレーキは段階的に義務化中
ASV割引で保険料が約9%割引
第7章:保険料
任意保険は年間50万円前後が目安(普通車)
タクシー共済は比較的安価
六大都市の方が保険料が安い傾向
11. まとめ
タクシー業務における保険は、単なるリスク管理ツールではなく、運転手と乗客の安全を守る重要な基盤です。本ガイドで解説した内容を、改めて重要なポイントとしてまとめます。
保険の重層的な保護体制
タクシー業界の保険は、自賠責保険、任意保険(共済)、労災保険という3つの層で構成されています。これらすべてが連携して機能することで、事故や災害が発生した際の被害者救済と運転手の生活保障が実現されます。
自賠責保険は最低限の補償を提供
任意保険/共済が自賠責を補完し、実質的な被害者救済を実現
労災保険が運転手自身を保護
事故時の適切な対応が重要
保険に加入していても、事故時の対応が不適切であれば、十分な補償を受けられない可能性があります。
人身事故として必ず届出(物損扱いにしない)
軽微な症状でも診察を受ける
証拠を確保する(写真、目撃者など)
その場での示談交渉は行わない
最新の安全装備が事故防止に貢献
デジタルタコグラフ、自動ブレーキなどの先進安全装備は、法令で義務化が進んでいます。これらの装備は、事故の発生そのものを防ぐことに大きく貢献します。
デジタコで運行管理を徹底
自動ブレーキで追突事故を約80%削減
ASV割引で保険料も削減
会社選びが将来の安心を左右する
タクシー業界への就職・転職を検討する際は、給与だけでなく、保険内容と事故対応体制を必ず確認してください。
対人・対物が無制限か
免責条項の内容は合理的か
24時間対応の事故処理体制があるか
安全装備が充実しているか
最後に
タクシー保険は複雑に見えますが、基本的な仕組みを理解すれば、それほど難しいものではありません。本ガイドで解説した内容を参考に、安心してタクシー業務に従事できる環境を整えてください。
保険は「もしもの備え」ですが、適切な知識と準備があれば、万が一の事故や災害が発生しても、冷静に対応することができます。
安全運転を心がけ、充実した保険で守られた状態で、タクシー業務を通じて社会に貢献していただければ幸いです。
※本ガイドの情報は2025年11月時点のものです。
※最新の法令・規制については、運輸局や保険会社にご確認ください。